零細リベンジャー 1 (アクションコミックス)

零細リベンジャー 1 (1)
江上 鴻基
双葉社 (2005/06/28)
売り上げランキング: 246,357

見た目はただの若いにぃちゃん、だけど実は不況下、融資を断られるような中小零細企業を助ける、凄腕経営コンサルトの活躍を描くお話。
最初は一話完結のお話を続けるのかと思いきや、いきなり物語の核心っぽい伏線がでたのでちょっと驚き。軌道に乗るまではトントンといくのかと思ったので。手堅く読めるがしっかりデフォルメも効いていて実際こんなことやっても銀行もただでは帰さないよ〜、ってのもあるんだけどそこは上手い具合に漫画してると思います。
絵は正直上手くないし、ギャグも若干上滑りしてる感もあるけど及第点は挙げれると思います。この作品なにやら原作付だったのか分からんのですが揉め事がいろいろあったそうな…(http://home.att.ne.jp/orange/ikeido/diary2004.htm2004/12/11参照)それでもここまで仕上げた作者には一応の拍手を送りたいです。
とりあえず序盤の伏線も少しずつ消化されていて、1巻から2巻の引きがきになるので期待して待っています。

追記

池井戸潤氏の日記を見て思ったことがあったので。(ネタバレあり)

有り体にいえば「ブラックジャックの金融版」。佐野ユウジ=ブラックジャックです。凄腕のコンサルが資金繰りにはじまり様々な問題に直面している中小企業を救うという設定ですね。
 この段階で私の頭にあったのは、現実の中小企業が抱える様々な問題であり、現在の金融情勢であり、それを漫画という表現方法を使ってよりリアルに描くということでした。小説だと、「難しい」とか「とっつきにくい」とかの理由が読んでもらえない読者に、漫画という媒体でアピールできないかと考えたわけです。 たとえば、講談社「モーニング」で『ブラックジャックによろしく』が(偶然、これもブラックジャックですね)医療の問題点を鋭くえぐっているように、中小企業の視点を通じて銀行と企業、大手企業と中小企業といった関係に潜んでいる様々な、そしてリアルなテーマを扱うことで、それに対する私なりの問題提起、解決策を示すことができるのではないか、と。

まず、ブラックジャックと佐野では決定的に違うところがあります。それはなんといっても偽悪趣味的なところではないでしょうか。
ブラックジャックは勧善懲悪的ではなく毎回何を考えているかわからず、時には法外な金をとったり、また、金を取らないがそれ相応のことをしたりと毎回正義とはかけ離れたことをしています。
しかし最終的にはブラックジャックのしたいことは読者に伝わり、読者はその考えに感銘を受けます。
だが、佐野の場合は理由も無く一話目に急に出てきて難題を解決する。
いわばウルトラマンのような存在になってしまっていてブラックジャックとはかなり違う存在になってしまっていると思います。
途中彼の零細企業を助ける意味が明かされますが、結局はそれは普遍的なものでなく個人的感情が先行した結果にすぎません。(親父が友達の親父を見殺しにしたことに対する恨みなど)ブラックジャックは「生に対する執着」、「命の尊さ」という人間が持っている普遍的なテーマを問題提起するかのように偽悪趣味的に描いたことが傑作と成り得た要因だと感じます。
それと同じことを社会的問題、この場合なら銀行と零細企業に対する貸し渋りなどの問題を提起するにはあまりに考えが足りなかったのではないでしょうか。
それを漫画で表現した場合、リアリズムに傾倒しがちで読者を引き込む要素に乏しく、結局は小説にした場合と同じような結果になってしまうのではないでしょうか。(最悪打ち切り)
私はそうやってブラックジャックの二番煎じを見るのも大して期待したくないし、ブラックジャックによろしくのように問題提起はできても陰気な漫画を期待したくありません。
そうしたことから作画の江上鴻基氏は漫画の持つエンターテイメント性を若干強め、そして漫画的な誇張表現に至ったのではないでしょうか。

あがってきたネームを見て、最初に頭に浮かんだのは、「企画意図と違うんじゃないか」ということでした。これはその後もずっと尾を引き、第二回、第三回と連載を進める中で中村さんに申し入れてきましたが、結局、訂正されることはありませんでした。これが今回原作を中止する最大の理由といっていいと思います。制作関係者全員が集まった企画会議で決めたことなのですから、そこで決めた漫画のコンセプト、トーンは守るのはプロとして当然だと思うのですが・・・。
 そしてこのことにも関係することですが、原作に対するリスペクトが全く払われないのも今回、原作を中止した理由のひとつです。合理的な理由もなく物語の展開を変え、原作で表現しようとしたストーリー性やトーンが書き換えられてしまうことは原作者として許容するわけにはいきません。
 ちなみに、この点について編集担当者の中村さん、江上さんの反論としては、原作が漫画的ではない、というのがありました。私も「漫画的」といわれるとよくわからなかったので、一応「そうかなあ」程度で今まで引き下がっていたのですが、今回、その点について突っ込んで質問したところ、「たとえば漫画の構成上、最初の場面で主人公を出さないと読者にわかりずらい」(中村さん)とか、「クビを吊ろうとしていた経営者の縄がキレて、ドスンと落ちる。そこに中小企業救います、というチラシが目に入るというような展開」(箕浦編集長)ということだそうです。
 正直、「???」。
 連載で主人公は固定されているのに、それでも最初に登場させる必要があるのか。様々なバリエーションがあっていいはずです。また、編集長には、「そういうギャグというかおかしさが漫画的ということですか」と確認したところ、「いや、どう考えるかは人様々ですから」という返事で、なんのことやら結局わからない。

結局こういう原作と作画(編集?)の軋轢はしっかりと原作-作画間の対話ができていないことが原因ではないかと思います。
漫画というものは実に稀有でストーリーと絵を一人でこなすのが普通とされています。
分業の始まり、マニュファクチュアという考え方は18世紀にすでに生まれていたのに明らかにそういう流れ(かなり古いな(笑))から逆行しているシステムなのは明白で、確かに個人の考えを的確にあらわすには適しているかもしれないですが、アシスタントがいたところで負担は大きい。そういう観点からも分業は大事なことだし、分業を効率的かつ有効的に行うにはお互いの意思疎通なしにはできないことです。
スポーツもそのとおりで、サッカーやバスケットは得点を得るための分業といっても過言じゃないでしょう。サッカーでお互いの意思疎通ができていなければ選手個々の想像と違うプレイが生まれるのは火を見るより明らか。漫画ももちろん一緒です。
池井戸氏の発言を見る限り編集サイドに否があったのではないかなぁとは思います。もちろんどちらが100%悪いというわけではありませんが。
そして先ほども述べましたが「漫画」という特別な表現方法、「たとえば漫画の構成上、最初の場面で主人公を出さないと読者にわかりずらい」という発言はお粗末としか思えません。こういう手法を使わない漫画は五万とあり、逆にこういう手法を使う漫画は少年漫画に多く見られます。
漫画アクションが狙ってる層はもちろん少年漫画の層ではありません。よって初めのシーンに主人公を持ってこなくてはならないというのもあまりにもお粗末としか思えないのです。世の中一話目に主人公が出てこない漫画だってありますし。
次に「クビを吊ろうとしていた経営者の縄がキレて、ドスンと落ちる。そこに中小企業救います、というチラシが目に入るというような展開」これはドンデン返しをやりたいんでしょう。追い込まれた零細企業の社長、八方塞がりだが一縷の望みが…。見たいな展開でしょう、こういう展開はお決まりですがストーリーテリングの巧みさ次第で好印象を受けます。面白さを追求したかったんでしょうが、結果として池井戸氏の写実的に近い描写を描きたい気持ちと相反してしまったのではないでしょうか。
「そういうギャグというかおかしさが漫画的ということですか」という発言は池井戸氏がギャグを許容できないということでしょうか。文章で表現できないことを漫画で表現したいというなら物語にメリハリを付けるギャグは質はどうあれ必要だったと私は思います。

漫画にせよ、ミステリにせよ、「こうしなければならない」というルールは無い、と私は考えています。創作は常に自由で、無限の可能性を与えてくれるものではないでしょうか。作り方になんらかのルールがあるというのなら、それを打破して新しいものに挑戦することにも意味があるはずです。そういえば、原作が複雑で頁数に収まりきらないなんて反論もありましたけど、これは全く論外。表現方法なんて何十、何百もあるではず。文字を連ねなければならない小説と違い、ひとつのカット、表情ひとつで、その人の感情や背景を表現できるのが漫画だと思うのですが。

もちろんルールは無いと思いますが、製作体制の状態での原作-作画間のルールがなかったのがいけなかったと思います。創作に対して先ほども述べましたが一人で創る分にはなんら問題は無いです。自己に問いかけ自己で解決すれば良い訳ですから。しかし、分業の場合は全く違う人間同士がちゃんと意思疎通できてやっと1つの作品を創作できるのだと思います。しっかりと意思疎通ができれば1人で作った作品よりクオリティが高い物だってつくれます。
アイシールド21はどうでしょう?ヒカルの碁はどうでしょう?
分業しなければなりえなかった作品だってたくさんあります。
創り方は自由でも前提ができていなければその範疇ではありません。原作に忠実にしてほしいならその旨を情熱的、かつ具体的に伝えればいいし、そこで意見の食い違いが出ても何度も何度も話し合って解決すべきです。
もちろん仕事であるため納期があるでしょうが、この文章を見る限りそういう掛け合いがちゃんとなされなかったんでしょう。
一読者として楽しみな作品がゴタゴタとなってしまうのは非常に残念です。池井戸、江上両氏、その他の創作家の方々にも難しいと思いますがこういう問題は是非解決して、より一層素晴らしい作品を見せていただきたいです。