ライトノベルは活字離れの特効薬か

昨日に引き続きライトノベルのお話。
前回のライトノベルからの越境作家以外の作家はどうなるか?
そう考えてみた。
id:Siphonさんの書店員の異常な愛情様で語られているように小説界全体の動きがいま、直感的に分かりやすい話が増えてきている。(そしてSiphonさんのお話がとても面白かったのでそれについてつらつらと書いてみます。ラノベ、小説両ファンの立場から)
そう考えたとき、ライトノベルという存在はどうなってくるか。
ライトノベルはつまり潜在的オタク層に向けた読みやすい小説と解釈できる、それは挿絵だったりのヴィジュアル的な部分で売り上げが左右されるという性質からもとって見れる。
ライトノベルがオタク的小説界のメインストリームなら小説界のメインストリームもまたオタク要素を除いたライトノベルといえるのではないか。
そして個人的には日本というこの特有の土地はオタク文化をはぐくんだと共に、その他の人間にもある程度のオタク的嗜好を植えつけたと感じる。
ほとんどアニメを見ない人間でもジャンプでの人気作は見るだとか、そういう空想の物語やファンタジー物に対する抵抗力みたいなものは十分に持っていて、それはライトノベルの更なる越境にまた一役買うかもしれない。
つまりはライトノベルの装丁を今よりシンプルにしてみたり、アニメ絵を全面的に押し出さないことだ。
もしくは登場人物だったりを現実に近いポジションにしたりだとか。
そうすることで書店では一般文庫の位置においてもらい、小説文化的には新しい才能であるライトノベル作者が小説界においてもメインストリームに乗るということもあるのではないか。そしてその事象はライトノベル、小説両ファンにとっても有益なことだと思う。
ハードカバーにしたりだとかそういったことでの商業的効果については未知だが、才能が表舞台へ出るという意味でとても意義のあることだと思う。
それで正当な評価を妨げることがなくなるのならなおさらだ。
ライトノベル市場は拡大化しているだろうが、それが潜在的オタク層メインの商売では些か限界も見えるものだが、いま一部である越境が全体が越境を果たした際にはライトノベルという文化は一気に小説界を侵食していくかもしれない。